2011年08月29日

「介護」







今のところ、そんなに苦痛でもありません。






母親が入院して一週間。

父の介護は自分の役目になってしまいました。

今までも少しは手伝っていたのですが、全てを任せられるってのはちょっと勝手が違います。

でもこれをやってみて分かったこと。
ほとんど何もしなかった頃よりも、この人に対しての愛情が深くなります。

手をかけずに見てるだけだと、ただの汚いオヤジなんです。
でも、自分が面倒をみることになると、もっといい方法がないか?
とか、もっと喜んでもらえることはないか?とか。
いろいろ考えるんですね。

そりゃ汚いこともやらなくてはいけないし、何をするにも時間がかかる。
イライラすることもあるんですが、何かが違ってきます。

これ、子供達がまだ小さかかった頃とかぶるんですよね。
オムツを替えたり、目が離せなかったり。
そんな頃と似ています。

子育ても手をかけるから愛情がわくんですね。
最近また幼児の虐待なんかもニュースになってますが、こういう親は最初から何もする気がなくて、頭だけでものを考えてる。
最初はじゃまくさいと思っても、面倒を見ることで愛情が育っていくはずです。

仕事も他人(ヒト)のために親身になって手をかけるから仕事そのものに愛着を持てる。

家族の関係は、仕事や社会の基本なんだと思う。



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2011年08月22日

「夏の終わり」






もう変わるんですか?




この気温は一時的なものなのでしょうか?

極端過ぎますよね。
極端な気候にはもう慣れてきて、そんなに驚くこともないのですが、今までが暑過ぎるくらいだったのにこの気温です。

そう言えば、今年の夏は夏らしいことはいっさいせずにアッという間に過ぎてしまったなぁ。
ただただ、「暑い暑い」と言っていただけ。
お盆休みも取れなかったし、海を眺めることさえもなかった。

一番好きな季節が終わりを告げています。
子供達が夏休みの宿題に追われるように、大人になってもなんだかこの時期は時間が限られるような、もったいないような、そんな気分にさせられます。

やり残したことがいっぱいあるはずなのですが、歳と共にそれが序々に気にならなくなっていくんですね。

夏を楽しめることと若さは比例してるんでしょうか?



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2011年08月15日

「二人の自分」






自由に描いてもいいんですよ。





仕事ではなく自由に絵を描く。

本来は楽しくてしょうがないはずなのですが、イラストレーションっていう切り口で描くと、自由なはずなのにいつの間にか本来は描きたくない要素まで描いてしまっていることが多いのです。

アートってのは描き手の思いは当然あるんだけど、見る側がどうとらえようと自由なわけです。
いろいろな解釈があった方が面白いし、それがアートをするってことの醍醐味ってもんです。

でも、イラストレーションの場合は公共性がないとこれの意味がないし、このイラストレーションって言葉の語源に関しても元々は「説明する」って意味だったらしい。
だから、その絵を見せたときには万人にほぼ共通の感想を持たせないといけないってことになります。

自由にイラストレーションする。

これは出来そうで出来ないことなのかも知れません。

最初は本当に自由に描いていても、もう一人の自分がアートディレクションを始めて、「ここにはこんな要素があった方がいい!」
なんて言い始めると、あまり描きたくない要素も入れてしまうことになります。

でもね、本当に嫌いなものだったら絶対に描かないはずなんです。
この描きたくない要素を別の形に置き換えらるはず。
なんて思うんですけどねェ。

そこに到達しない未熟な自分。

アートとイラストの融合ってのは無理なのか・・・?




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posted by JUNICHI ICHIMURA at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年08月08日

「洗脳?」






哲学の話じゃなくて・・。





イチゴは赤です。
海は青です。
普通にそう見えます。

でもこれは物に太陽の光が当たって、その光が目の中に入って、それを人間の脳が赤とか青とか勝手に判断しているだけ。
だから本当の色はどんな色なのか?
そもそも何が本当なのかもわからないのですが・・。

同じように、普通に朝起きて顔を洗って、ご飯を食べて仕事をする。
本人はそのつもりでいるけど、本当にそんな行動をしてるのか?
本人がそう思い込んでいるだけなんじゃないのか?

真実とはなんなのか?
そんなことを考えだすと切りがないのですが、マトリクスって映画はそんなことをテーマにしてましたね。

今、「日本中枢の崩壊」って本を読んでます。
現役官僚の古賀茂明さんが書いた本です。

これを読むと、永きに渡って日本の国民はいや、政治家さえも官僚に洗脳されて来たんだってことが分かります。
決してウソは言わないけれど、自分たちに都合のいいデータだけを公表して序々にそう思い込ませる。

どうして日本は原発を推進してきたのか?
そのこともよく分かります。

映画マトリクスでは巨大コンピュータに繋がれた人間達を解放して戦う真の人間達がいましたが、この国の場合ははどうなるんだろうか?

こんな本も出て、序所に真実が露呈して、映画で言えば覚醒した人間が増えてきているはずなんです。

でも映画では覚醒した後の戦いの方が壮絶なんですよねェ。
中には騙されたままでいいから元どおりコンピュータに繋がれていた方がいいと思う者まで出てくる。

救世主は現れるのか?




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<今日のちょっと寄り道>

去年のブログには終わってしまってから書いたので、今年は前もってのお知らせ。
今日卯辰山の観音院で、「四万六千日」があります。
詳しくは下記(去年のブログ)をお読みください。
http://jun-ichi.sblo.jp/article/40249260.html?1312765571

おそらくこの日にしか見る事ができない地獄絵図の掛け軸とかもあります。

興味のある方は小銭をたくさん持って行ってくださいね。
一円玉でもいいんです。
なにせ四万六千日ぶんのお参りをするんですから。

ウチからは近いんで、駐車場を貸してほしいって方はどうぞ。

「何時から始まって何時まで?」
ごめんなさい。詳しくは分かりませんが、いつもお昼頃からお経の音が聞こえるのと、夜は何時頃かな?
たぶん9時くらいには終わるんじゃないでしょうか?


posted by JUNICHI ICHIMURA at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年08月01日

「かさぶた」






ついつい、カキむしってしまいます。





これができると痒くなったり、出っ張りが気になったりで、ふとした時によくさわります。

先日も家の階段でスリッパをひっかけて転びそうになって、手すりの角に手首を擦り付けた。
そこが、「かさぶた」になって気になってたんです。

途中までめくれてるのに、あとの残りが痛くてむしれない。
このまま放っといてどこかに引っ掛けてしまったら、すんごく痛いでしょう?
そんなことを気にする必要もなく、今日無事にはがれたんですけどね。


仕事で描く絵ではなく、自分の世界を描こうとする絵は、自分自身でも驚きとか感動を味わいたくて描いてます。
頭の中でおぼろげに想像するイメージがあって、そこに近づこう。いや、もっとそれを超える何かが欲しいと思って描いてるんですけどね。
なかなかそんな結果には巡り会えません。

新しいものを生み出そうとする過程ってのは、この「かさぶた」の感覚に似てるんじゃないかな?

なかなか思うようにならなくて、とっても気になって、イライラして、早く結果が見たくなって。

でも途中でひん剥いてしまったら、完成しないんですよね。
逆に変な跡が残ったりもします。

焦らずにじっくりと。
遅いからって誰も文句は言わないんですから。




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posted by JUNICHI ICHIMURA at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記