2014年04月28日

「花と華」







長持ちする花






あまり興味がないので、一年くらい前まで知らなかったのです。
プリザーブドフラワーって作られた花。

「新鮮な生花を脱水作用がある脱色液に漬ける」 → 「花を取り出す 」→ 「潤滑液入り着色液に漬ける」 → 「花を取り出す」 → 「乾燥」

こんな過程で作られるようですね。
環境が良いと10年も持つようです。

でも最近、病院を訪れる機会が多いせいでこんな事を考えてしまうのですが、「延命治療」とプリザーブドフラワー。
何だか無理矢理生かされているように思えてしまう。

キレイなものを長く見ていられるのはとてもありがたいことですよね。
しかも、手間がかからない。

でも、手間がかからないってことは何もしなくていいのです。
何もしなくて良いってことは、最初のうちは存在感があっても、そのうち忘れ去られてしまう。

手間をかけて、人とのかかわり合いがあるからこそ、忘れられずにいる。

健康な人間にとっても「仕事」ってのは金を稼ぐ為だけのもんじゃなくて、人として生きる為の水であり、肥やしなんだと思う。

良い意味でも、悪い意味でも、人にかまって貰えなくなるってのは寂しい。


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2014年04月21日

「公園とは?」








平面図だけで考えたとしか・・・。







先日、久々に地元の中心にある中央公園を通りました。

以前は、芝生と多くの木々に囲まれていた美しい公園でした。
しかし昨年、県の意向で数々の樹木が切り倒され、芝生があったスペースも、その多くがアスファルトの道になり、何とも殺風景で、平凡な姿に変貌していたんです。


実は、午前中に映画を見た後、パンを買ってこの公園でのランチを考えていました。
公園内を囲むように幾つものベンチが並んでいます。
でも、やめにしました。
とてもこの風景の中で、くつろぎたいとは思えない。
公園と言うよりも、道がメインで、その脇にただ樹木が並んでいるといった印象しか受けません。


この工事の理由が、迎賓館への導線だと聞いた事があります。
本当にそれは必要だったんだろうか?


県は工事以前もこの公園の利用者が少ないから影響はないとも言っていたように記憶しています。
しかし、こんな姿に生まれ変わって、益々この公園を利用する人間は、少なくなるように思えるのです。


日本人は狭い空間の中にも、一つの世界を作るのが得意なはず。
「箱庭」や「盆栽」などがその例です。
その限られた世界でも宇宙に繋がっているような存在感を感じ、想像もさせてくれます。

金沢には名園、兼六園があります。
あまりにも貧相な感性に利家さんも嘆いているのではないだろうか?

それとも、お偉い方々はここをもう公園と捉えていないのか?

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2014年04月14日

「さくら」

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「満開」という言葉に憂いを感じます。







金沢での桜ももう満開は過ぎました。
もう散り始めている木がほとんどなのですが、ウチの向かいの桜は散ってはいるものの、まだ見事な姿を見せてくれます。

年に一度だけの風景ですが、必ず毎年やってくる風景です。

人の場合は「満開」というと、人生のピークのことを言うのかも知れません。

普通の仕事だと、必ず定年を迎え、引退する時期が決まってしまうのですが、自分のこの絵を描くって仕事には定年がないんですねぇ。
チャレンジし続ける限りは。

年齢的にはできる事、できない事がもうハッキリしてしまった年齢なのですが、出来る事なら「絵」の世界で、もう一花咲かせたい。
なんて思ってしまいます。

人として、散る間際でもいい。
自分自身で思う最高の花を咲かせることができれば、最高の人生になるんじゃぁないかな?

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2014年04月07日

「コマーシャル」







逆ゴールデンタイムってことになるかも。





最近の息子や娘のテレビの見方を見ていると、まずハードディスクプレイヤーに見たい番組を録画して、見れる時に見るといったスタイルです。

だから、当然CMは飛ばして見ています。
こう言ったテレビの見方はウチだけのことではないと思うのです。

テレビで映画を放送することがありますが、時間の関係で見たいシーンを勝手にカットしてくれたりするもんだから、ガッカリするし、間あいだにコマーシャルが入るから作品に集中もできない。
だから最近は新聞のテレビ欄に映画があっても見る気がなくなります。

生で見るのは、スポーツ中継ぐらいのものなんじゃないでしょうか?
そもそも昔と違って、生での番組制作が少ないのですから、録画でも良いわけです。

そうなって来ると、テレビ番組にCMを付ける意味がなくなって来ます。
見たい場面を選んで見れるわけですから。

唯一、リアルタイムでテレビを見るのはお年寄りだけって事になります。
ってことは、テレビっていう媒体に付ける広告はお年寄りターゲットの広告がメインになって来るってことかな?

その昔、テレビ放送が始まったばかりの頃は生放送が当たり前だったから、コマーシャルも生でした。
そんな感じで、どうしてもCMを見せようと思ったら、番組中に帯で広告を流すとか、出演者がさりげなくスポンサーの名前や商品名を口にするとかって方法しかなくなってしまうんじゃないでしょうか?
それも、見てる方が不快に感じてしまっちゃぁ、逆効果なんですけどね。

ゴールデンタイムって、CMにとっては視聴率が取れる良い時間帯があるようですが、逆にこの時間帯の番組は録画で見るからコマーシャルの意味がなくなって、深夜とか早朝とか、寝ぼけ眼でボ〜っと見ている時間帯の方が効果が上がったりして・・。

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posted by JUNICHI ICHIMURA at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記