2015年04月27日

「擬似体験」







使い方次第かな?





先日、初の北陸新幹線を体験して来ました。
東京までの往復です。

とても快適だったのですが、もう何度も報道されてるので、当たり前のように感じて、ずっと以前からあったようにも錯覚します。

何度もテレビを見て、疑似体験してるからなんですね。
乗ってなくても、乗ったような気持ちになる。

昨日あるテレビ番組で紹介していたのですが、パソコンの中で自分のアバターを使って、学園を疑似体験しながら通信高校を卒業できるし、高校卒業の資格もとれるそうなんですね。
その学園に入学した学生同士とチャットもできるし、ちゃんと学園としての空間もあります。
成績によってその点数を貯めると、アバターに着せたり持たせたりするアイテムを購入することもできます。

通信講座を受けて、いろいろ資格を取る方法はあると思うし、どうしようもない理由があって普通の高校へは行けない子供もいます。
そんな意味では、ゲーム感覚で登校できるこの空間は便利だと思うのです。
でもねぇ、資格を取るってことと、学校というものを切り離して考えた方がいいんじゃないだろうか?

人間同士が面と向かって、喧嘩をしたり喜びあったり、仲間はずれにならない方法を考えたり。
そんな事が人としての成長なんだと思うから。
人と人とのコミュニケーションを、文字でしかできない人間も増えて来てるような気がしますしね。

パソコンの中での疑似体験を、そのまま現実社会で体験したように勘違いしてしまいそうで、ある意味怖いのです。
社会人になって、現実の世界に入った時に、それまで以上にデカイ壁にぶつかる事になります。

北陸新幹線。今回は普通車両での移動でしたが、一度はグランクラスに乗ってみたい。
お酒の飲み放題やお弁当は疑似体験では満足できませんからね。


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2015年04月20日

「不自由」





なってみて、初めて分かる。




3月の初め頃にジョギングをしていた際に転んで、右手首を痛めたことは前に書きました。

MRI検査の結果、骨折はしていなかったのですが、いろいろ事情があって2ヶ月間ほど固定しながらの生活です。
6月までの結果を見てどうなるか?未だに痛みは引きません。

こうなってみて当たり前に今まで出来ていたこと、普通にできていたことがどんなにすばらしいかが分かります。
自由に脱着ができる器具なので、100%梗塞されている分けではないにしても、不自由さはあります。

指先は自由に動くのですが、例えばこうやって打っているキーボード。
普通ならなんなく打てる文字も手首を固定していると打ち間違いがあったり、長時間打ってると痛みが出たり。
自動販売機からおつりを取っても、握りそこねて落としたりもします。

今まで簡単に出来てたことも、ちょっとした力仕事ができない。
毎年自分でやっていた夏タイヤへの交換も、今年は業者にやってもらうことに。

五体満足ってのがどれだけ幸せなことなのかが分かります。

老化ってのは、出来ることがだんだん減っていくこと。
自分の両親を見ていて、自分は少しでも先延ばししようと始めたジョギングですが、皮肉なことに、逆に不自由になってしまった。

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2015年04月13日

「賞」








何百年後かには、現代のポスターも・・。







先日新聞でこんな記事を見つけました。

「市観光ポスター国交大臣賞受賞」

金沢市の観光ポスターが日本観光振興協会の観光ポスターコンクールで、最優秀賞を受賞したとのこと。
金沢市のポスターが大臣賞を受賞したのは初めてとも書いてありました。

個人的な好みは別として、これはメデタイ話です。

しかし、しかしですよ。
その記事には制作者の会社もデザイナーの名前も何一つ紹介されてないんです。
発表しないから、記事にならないのだと思います。

20年以上も前になるでしょうか?
その頃にも同じ様なことが気になって、県のデザイン協会に手紙を送った事があります。

一年間に石川県で制作されたグラフィックや工業デザインの中から幾つかの賞を決めて、表彰し展示するってことをやってた。
その賞は今も続いているのですが、当時展示されてる作品の横にはクライアントさんやスポンサーの名前しか表記してなかったんです。
デザイン展なのに、肝心のそれを作ったデザイナーやその会社は表彰されてないってことになります。
もっと言えば、例えばグラフィックデザインで一つの物を作るのにはデザイナーの他に、カメラマンやイラストレーターやコピーライターも係っているケースもあります。

しかも、その当時の賞の名前が「○○新聞社長賞」とか「石川県知事賞」とか、何に対して受賞したのか分からない名目で。

そんなことに疑問を感じて、お願いの手紙を送らせてもらったんです。

そんな一個人の手紙だけのお陰とは思っていませんが、偶然なのかどうか、次の年からはデザイナーも表彰されるようになったと記憶してます。

以前にも書きましたが、伝統工芸や職人には温かいのに、デザイナーには冷たい県だと感じるのです。
同じ「ものづくり」をやってるんですけどねぇ。

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posted by JUNICHI ICHIMURA at 12:19| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2015年04月06日

「誤魔化す」







なぜ自分はこの場所にいるのか?






世の中様々な事件がある中で、これ位は良いだろうと思って誤魔化したことが、後で大問題になるケースがあります。

ビルの免震装置の数値を誤魔化して、世間に大迷惑をかけてしまった某会社がありましたね。
結果、誤魔化して得た利益の何倍も損をする事になります。

全く嘘のない世の中はあり得ないと思います。
一生嘘をつかずに終える人もいないと思うのですが、「肝」の部分を誤魔化してしまっては、後でその何倍も苦労することになるんでしょう。

世の中何でもかんでもスピードが重視されるようになって、仕事も自分の目の前をどうやったら早く通り過ぎることができるのか?
そんなことばかり考えて仕事をやってる人が増えたんじゃないだろうか?
最近そんな不信感を持ってしまうような体験をしてしまいました。
ここで詳しくは言いませんけどね。

自分に与えられた役割、「肝」の部分をないがしろにして、時間と言う枠に重要性を感じてしまう。
「肝」は大切ですよ。
それがなくちゃぁ、自分がその仕事をやってる意味や自分が自分でいる意味がなくなってしまうし、そこが仕事の中で一番面白味を感じるところじゃないんだろうか。

誤魔化すってことで言えば、自分自身に嘘をつかずに生きることが出来れば一番幸せなんだろうけど、これが一番難しい。

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posted by JUNICHI ICHIMURA at 10:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記