2015年06月29日

「ひと工夫」






独りよがりではねぇ・・。






昔、カクテルに凝ったことがありました。

マニュアル本を買って来て、十数種類の洋酒を買って、いろいろ作りました。
カクテルを作る前に、元となるお酒そのものの個性を味わいたくて、それぞれストレートでも飲んだものです。

そのせいかどうか、とっても個性的で一般的には飲みづらいようなお酒でも楽しめるんです。

だからお酒って、飲みづらいくらい個性的な方が面白いって思うくらい。
当然その中にも美味しいとマズイはあるんですけどね。

ウチの子供達はもう3人共成人してるんで、一緒に酒を飲めるんですが、さすがに一番下の娘は酒を飲みなれない事もあって、我々夫婦の好みとは合いません。
前のNHKの朝ドラ「マッサン」の劇中にもあったように、ウイスキーのスモーキーフレーバー臭は娘には単に臭いとしか感じないようです。

暑い季節になると夫婦でよくハイボールを飲むのですが、お店で飲むように、いちいちレモンを切って入れるのは邪魔くさいし、むしろウイスキーそのものの味がある方が美味しいと感じるので省略してしまうのです。

興味をもった娘が「ちょっと飲まして」とカミさんのグラスに口を付けるのですが、「わっ、臭い」と言って敬遠します。

そんな中、先日気まぐれで、レモンを買って来て入れてみました。

いつもと違うことに好奇心を持ったのか、娘がカミさんのグラスに口を付けると、良い反応。
しばらくして、また口に運んだんです。

ウイスキーの臭さをレモンが消したんですね。

突拍子もない例えかもしれないのですが、アートとイラストやデザインの違いの様だと気づかされました。

個性的で理解できる人にしかその魅力が伝わりにくいのが「アート」
その個性を活かしながらも、一般に受入やすくするのが「イラストやデザイン」

闇雲に個人の価値観を力ずくで押し付けても、人によっては反って敬遠されるだけ。
そこに他の要素を加えて演出することで、分かり易かったり、美しくなったりします。

過去の自分を振り返って、そんな押し付けをしてしまったことも多々あったんだろうなぁ・・。と今になって反省。

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2015年06月22日

「ルールの通用しない事」







誤摩化そうとする訴えは、人には響かない。






スポーツ中継を見るのは大好きです。

特に国際試合はテンションが上がりますね。
国を代表して戦っているって意識が自然と湧いて来ます。

オリンピックともなれば、もう神経がすり減るくらい応援したくなります。

最近ではテニスの錦織君が頑張ってくれてますが、フクラハギを痛めたようで、心配ですね。

たまに野球もサッカーも何もないって日が数日続くと、なんとも「あいそむない」(金沢弁で、「物足りないとか、充実感がない」)って感情に襲われます。

スポーツにはルールがあって、その枠の中で相手と戦うものですし、敵対する相手にも尊敬の念を持つものです。

でも、これと正反対の事をスポーツと同じに考えているとしか思えないことが日本で起きようとしています。

日本独自の考え方を戦争に当てはめる。
さも、戦争にルールがあるかのように、持論を訴える。
日本の考え方はこうだから、他国と戦争するつもりはありませんよと言う。

しかし待って下さい。
戦争ってのは相手がいるんです。
相手にとっては、どんな理屈をこねても敵は敵なんです。
想像もつかない報復をして来るかも知れない。
相手から先手を撃たれたら、個別的自衛権の行使で、確実に戦争になります。
覚悟をしていない無防備な国民を、危険にさらす事にもなるんじゃないでしょうか?

一国の理屈が通るなら、全ての戦争は起きていないはずです。

改憲すべきかどうかなんて今の段階で国民は判断できませんよ。
ただ、憲法を無視して、時の政府がどうにでも判断できるような法律だけは作らないで欲しいと思うのです。

憲法と言う鉄の鎖で繋いでいたはずの猛獣が、いつのまにか延び縮み自由なゴムのリードに変わってしまって、人を襲えるようになる。

改憲が目標なら、そのリスクを国民に正々堂々と示した上で、その必然性と覚悟を説明すべきだと思うのですが・・・。

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2015年06月15日

「フルマラソン」







補欠当選を願ってます。






今年11月には金沢初のフルマラソン大会、金沢マラソンがあります。

出場者は抽選で限られるので、走ることが趣味の自分もカミさんも、申し込みました。

先日その結果がメールで送られてきたのですが、残念ながら落選。
ところが、カミさんは当選。

なんだか悔しいようなホッとしたような。

ホッとするってのは、42kmも走るのは初めてで、コースを想像するとどれだけシンドイかが分かるから。
一方で、悔しいのは、自分よりも先にカミさんの方がそれを経験できるから。

ある方が言ってましたが、ハーフよりもフルの方が楽だって話。
フルマラソンはある意味お祭りのようなものだから、ほとんどの道のりを歩いてでもゴールすればいい。
つまり、少し速く歩く散歩みたいに考えてもいいってことです。

それにしても、42kmなんて歩いたことさえないんです。
半分歩いても5時間はかかるそうなんで、その距離の長さが分かります。

ウチの長男と長女が卒業した高校では、毎年「3S歩行(サンエス・ホコウ)」と言って、能登の千里浜海岸から金沢市内の学校まで歩く行事をやってました。
これが42kmを少し越えるくらいの距離なんです。
それが行われた当日の夕方、その高校の近くを通ると、ヒザを曲げるのが辛そうに、まるでゾンビのような歩き方をした高校生をそこら中で見かけることができます。

そんな感じになるんでしょうね。

42.195km

苦しい道のりなのか、楽しい道のりなのか?
走った者にしか分からない。

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※詳しくはこちらまで http://jun-ichi.sblo.jp/article/132326984.html
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2015年06月08日

「コミュニケーション」







気持ちで伝わることも・・・。






北陸新幹線が開業して、更に観光客が増えているここ金沢です。

外国からの観光客も、ここ数年前から以前にも増しているように感じます。

先日、近くの町内を歩いていると、自分の前に3人の観光客であろう中年男性3人を追い越すことに。

何だか声をかけられそうな予感を感じながら通り過ぎると・・。

「Hello!Hi!excuse me.」やら、何やら声をかけられました。

振り返って見ると、地図を見せながらその場所までの道を訪ねている様子。

英語には全然自信がないのですが、なんとか力にはなってあげようと言う気持ちはあるので、一応聞きます。

その地図を指指す所を見ると、Higashiyamaとあります。

東山の茶屋街に行きたいのだと理解したので、一緒に案内することにしました。

どこから来たのかを訪ねるとイタリアとのこと。
英語は話せるのかと聞かれ、「a little.」と言ったものの、そう言うのもおこがましいほどの英語力。
ですが、相手はこちらより英語が堪能な感じで、いろいろ話しかけて来ます。

それでも、黙っているのも無愛想に感じるので、中学生レベルの英語力をフル回転させて相手に話しかけます。

「今日は良い天気ですね」と、こちらが言うと、「日本に来てから1週間も良い日が続いてラッキーだ」と答えてくれました。
金沢の人口を聞かれたり、天神橋では「ここは良い風景でしょ」と言うと写真を撮り出したり、「ここでいつもジョギングしてるんです」って言うと、「だからあなたは歩くのが早いんですね」と。

知ってる単語や熟語を並べるだけでも結構雑談ができるものだと感じる、意外な体験でした。

コミュニケーション。
これができるかできないか?
それだけで、体験の幅が広がります。
デザインやイラストも人にメッセージを伝えるツールです。

これには国境がない。

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※詳しくはこちらまで http://jun-ichi.sblo.jp/article/132326984.html
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2015年06月01日

「青い鳥」







人それぞれ・・。






6月ですね。

月初めは、例の書道家の方がプレゼントしてくれた、カレンダーの言葉をネタにしてるんですが、今月の言葉はこれ。

小鳥が空を飛ぶために創られているように
人間は幸福になるために創られている


ウラジミール・ガラクティオノビッチ・コロレンコ の言葉。

この名前を聞いても全然ピンとこないのですが、短編小説家で1853~1921年の時代に生きて、学生の頃から国を追放されたり、革命運動をやったとして投獄されたりもしたらしいです。

何が「幸福」か?
なんてことを考え出すと、頭がおかしくなりそうなのですが、ただ、この一節を読むとちょっとした希望を感じたり、ホッとしたりしませんか?

でも、決して「人生誰もが必然的に幸福になる。」なんて意味ではないですよね。

生きてる限りは人間の本能として「幸福」の光を求めて歩いて行くものだ。
ってことなんだと、解釈したんですけどね。

でも、それを目指して歩き続けられることが「幸福」とも言えるんじゃないだろうか?
なんてふうに個人的には思っています。

チルチルとミチルのように、どこに「幸福」があるのか?
って探してたら、こんなに身近にあったってこともありますからね。

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posted by JUNICHI ICHIMURA at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記