2015年08月31日

「想い出に変わること」






芥川賞とは関係のない話ですが。





遅ればせながら、芥川賞受賞の二作品、「火花」と「スクラップ・アンド・ビルド」を読みました。

「火花」は思わず吹き出してしまったり、後半では涙したり、感情を揺さぶってくれましたし、「スクラップ・アンド・ビルド」は、身に覚えのある、老人介護の話でしたから、共感させられるものでした。

「スクラップ・アンド・ビルド」
この小説の中の老人に比べると自分の父の場合は、自力で歩くことも食事もできず、終盤は話すことも出来なくなってしまったものですから、より大変だったのですが、何だか懐かしい想いを感じながら一日で読み終えてしまいました。

本の内容に関してはこれから読まれる方もいらっしゃるでしょうから、ここで語るのは止めておきますが、介護する側、介護される側の関係も今にして思えば、この著者の言いたかったこととして良く理解できます。
「ああ、そうだったんだな〜」って。

その父も亡くなって来月で、はや一年が経ちます。
あっと言う間の一年です。

当初は最期を迎えた病院の前を通ると、まだ父親がこの中にいるような感覚があったものですが、それもいつの間にか視界にさえ入らなくなってしまいました。

人間の脳は、悲しいことや嫌なことを忘れることで自己防衛をしているのでしょう。
でも、その忘れたいと思うことも、「想い出」という安らぐ形に変形させて、心の中に停めさせているのかも知れません。

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2015年08月24日

「秋の気配」








空にうろこ雲を見つけました。






つい最近まで暑い暑いと言ってた今年の夏ですが、何だかあっさり秋の気配ですね。

人はいろいろな物で季節の移り変わりを感じます。
気温や空気、季節の鳥の訪れ、匂い、陽の光。
昔は季節の食材がメインだったから、そこにも感じたものですが、最近じゃぁ一年中好きな物が食べれますから、これでは季節はなかなか感じることができないですね。

それに、これらの事を感じる前にテレビなんかでは、季節を先取りした情報を流したりするもんだから、何だか無理矢理季節を押し付けられてるような・・・。

規制の枠にはめられて、一つのルールの中で自分が意識しなくても何となく動かされているようにも感じます。

四季に限らず、肌で何かを感じるってことは、生き物にとってはより健全なことなんじゃないだろうか?
自分で感じて、自分の頭で考える。

五感があっての第六感。
発想すること、想像する力。

ちなみに、自分が秋を感じる一番は、朝座った便座が、冷たく感じること。

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2015年08月17日

「盆休み」







帰省できるのが羨ましい。






お盆です。
日頃会えない人達にあったり、町を歩けばより多くの観光客の人混みがあったりで、普段の生活とは違う時間を過ごしています。

帰省、夏休み、お墓参り、終戦記念日。
これらの要素が入り混じって、独特の雰囲気を感じます。

春のゴールデンウィークとはまたひと味違った週間です。

ウチの次男は休みが不定期なので、お盆の時期にまとまった長期の休暇が取れません。
この時期も相変わらず、いつものように仕事に行って、遅くに帰ってくる生活です。
そんな自分も自由業ですから、ずっと仕事をしてるんですけどね。

そんな方は他にも大勢いらっしゃるとのでしょうが、このお盆休みにしか味わえない時間がないのは残念でしょうね。

昔、帰省客をターゲットにした新聞広告のヴィジュアルを毎年考えていました。
そんなこともあって、特にお盆にはそんな特別感を持つのかも知れません。
「風鈴」「麦わら帽子」「蝉とり」「スイカと子供」「おじいちゃん、おばあちゃん」「海が見える田舎の縁側」そんな風景をいろいろ想像しました。

これが自分にとってのお盆のイメージ。
そして、日本の夏のイメージ。

生まれた土地から離れて暮らしたことのない自分が想像する帰省。

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2015年08月10日

「カジカ」






その存在に癒されて。




今年の夏はテラスに睡蓮鉢を置くことにしました。

2年前にバケツ田んぼをやった時の生き残りのメダカ一匹を含めた5匹はボウフラ対策。
それにホテイ草とその他の水生植物を入れました。

見た目が涼しげで、良い感じです。
鉢の中をメダカが泳ぐ姿を見てるだけでも飽きません。

そんな中、一週間ほど前からでしょうか?
どこからやって来たのか、カエルが一匹ここを住処にしてるんです。
地面からは3階ほどの高さがあるこの場所によくやって来たものです。

あまり見た事のない姿なので、ネットで調べると、カジカガエルのようです。
森林や湖畔に生息すると書いてある。
なるほど、それで木登りが得意なわけか。

この場所にやって来たのも、たぶん水の匂いがしたからなんでしょうね。
野生の本能には驚かされるし、巧ましいものだと、感心もします。

メダカにしてもカエルにしても、生きている物がそこにいるってのは嬉しい気持ちになるのです。
しかも、このカエル君は自分の方からやって来てくれたわけで、それだけでも親近感が湧きます。

でも、ちょっと待てよ。
食物連鎖を考えると、カエルの次はヘビの可能性もあるわけで・・・。

これだけは、ちょっとご遠慮願いたい。

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2015年08月03日

「良心」





 良心とは
 誰か見ているかもしれないと警告する
 心のささやきだ。

         (ルイス・メイケン)




8月のカレンダーにある言葉はこれなんですけどね。

人間の本質は「善」ではないってことを言ってるのでしょうか?
純粋な「善人」なんてものは存在しないと言っているように聞こえます。

一人の人間の中に「善」と「悪」が同時に存在する。
ある面ではとっても良い人に見えるのに、違った角度から見ると、「悪」の一面もある。
全てにおいて、善人であることは不可能ですよね。

ある人の一面だけを見て、「なんて非常識な嫌なやつなんだ。」
なんて思って、それだけでその人の全部を嫌いになったりもする。
自分もありがちです。

ウチの裏庭のアイビーの中に飲んだ後の缶コーヒーを隠すように捨ててあるのをよく見つけます。
コンビニの袋に食べた後のゴミを詰めて、捨ててあることも少なくありません。

たぶん、同じ人物だと思うのですが、まさしく、誰も見ていないと思うから平気でそんな事ができるんでしょうね。
自分にとっては、とんでもないヤツだと腹が立つのです。
でも、ゴミ以外、他の部分では人に対して「良い人」であるのかも知れません。

自分にとっての「良い人」
自分にとっての「悪い人」

ちなみに、「良心」の反対語を調べると、「本心」と出て来ました。

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