2015年09月28日

「不思議な○○」







解らないから想像が膨らむ。






昨日は十五夜(中秋の名月)で、今日は、スーパームーンとか言うらしいですね。

「十五夜」ってのは、新月と呼ばれる月が出ないときから満月になるまでおよそ15日ほどかかるから十五夜。
それで、この時期は空気が澄んで、月が綺麗に見えることから「中秋の名月」なんて言われるそうですね。

でも、旧暦と新暦の誤差があるから、中秋の名月が必ずしも満月ではないと言うことを初めて知りました。
それで、今日が満月なんで、スーパームーンって呼んでるんですね。

どれだけ月に興味がないんだ。って事ですが、逆に昔の人はとっても月に興味があったみたいで・・・。

以前もブログに書いたのですが、京都の銀閣寺ってのは、月を見るために作られたそうですね。
時間と共に移動する月を、最初は一階から、次は2階の窓を開け、池に映るそれを見、最後は2階の渡り廊下を渡って、別棟から観賞したらしい。

一晩中ですよ。

とっても不思議で神秘的に感じたんでしょうね。
しかも美しい。

今じゃあ、夜に光があるのは当たり前ですから、感動と言えば、夜景であったり、プロジェクションマッピングであったり、見るものはいろいろあります。

目線が下に向いてるから、月を意識して見ようなんて思わない。

ある物や事に魅力を感じる要素の一つに「不思議」があると思うのですが、科学が進んで来ると、その「不思議」がどんどん無くなって、ほとんどの事が理屈で説明できるようになって行きます。

古代の人々が、地球や自然現象に想像を働かせて、様々な表現や物語りを作ったのは、それぞれが想像するしか無かったから。

子どもの絵や表現が面白いのは、それと似たようなことなんでしょうね。

あまり物を知り過ぎるのも善し悪し。

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2015年09月21日

「シルバーウイーク」







シルバーウイーク真っただ中です。






ゴールデンウイークに対してのシルバーウイーク。

この名前を聞いて、「シルバー」=「お年寄り」を思い浮かべるのです。
最初に聞いた時は純粋に、なんで「年寄りの週間なんだ?」って思いました。
もっと良いネーミングを着けられなかったのか?なんて思ってたんです。
しかし、今日はなんと「敬老の日」じゃないですか。

これを見込んでこのシルバーウイークってネーミングにしたのなら、見事な感性です。

気づかなかったのは、自分だけ?でしょうか?

ウチの町会には80歳を越える老人が 二人。
自分の母親ともう一人、独り住まいの女性の方がいらっしゃいます。

二人は同じ歳なのですが、全く正反対な状況。

母の場合は、重大な病気を3つも抱えていて、それに加え自立歩行が困難な状況。
対して、独り住まいの方は、悪い所は一つもないとおっしゃいますし、歩く姿も若々しい。

お顔を拝見しても、肌がつやつや輝いてます。
歩くのも好きらしい。

この正反対の違いはどこから分かれて行ったのか?
生まれ持ったものなのか?生活習慣なのか?

研究しようもないのですが、出来れば後者のように歳をとりたいものです。

昨年亡くなった父親と今の母の老後を見ていると、増々「身体を鍛えなくては」と思ってしまうのです。

自分は週に数回のジョギングや、たまにの筋トレやってるんですよ。
若い頃は、運動をすればするだけ能力が上がって行くのが当たり前だった。
しかし、これだけ続けているジョギングも、年々タイムが落ちて行きます。

今の自分にとって運動は、能力を上げる為じゃなく、年齢なりのリハビリ状態。

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2015年09月14日

「余韻」





「ゆらぎ」って言葉が使えない気候です。




鬼怒川の氾濫のあと、テレビ各局が取材をし被災者の方にインタビューする様子を見ます。
家を流されてしまった方々は、自分の人生まで流されてしまったようなものですから、インタビューの途中で涙する方々もいらっしゃいます。
最近は歳のせいか涙もろくなってしまって、そんな様子を見ながらこっちまで涙が溢れます。

この災害も人ごとではなく、7年前の浅野川の洪水を思い出すんです。
ウチは幸いギリギリで水が溢れ出すことはなかったのですが、下流100mほどの場所から洪水となって、一帯はドロだらけでした。

最近の気候を見ると、極端ですね。
季節の変わり目になると嵐が起きて、それが過ぎ去るといつの間にか季節が変わっているって感じです。
季節の余韻を楽しむってことができなくなってしまいました。
まるで、歌舞伎のどんでん返しのように、あっと言う間に季節が入れ替わります。

舞台の場合はそれも演出上必要なのでしょうが、日頃の生活の中でそんなことが起きると、慌ててしまいます。

余韻を楽しむってのは、脳の仕組みから言って、人間だけだと思っているのですが、食べることだけを考えても、「残り香」とか「あと口」とか、楽しみ方がありますね。
動物の場合は、単に匂いとしか認知しないのでしょうから、香りって感覚は人間だけなんでしょうね。

「残り香」に関しては食べ物だけでなく、好きな異性の香気を感じてその人を想うなんてこともありますね。
自分にとっては、遠い昔の話ですが。

余韻を楽しむ。

とっても贅沢で、膨らむ楽しみ方なんじゃないだろうか?


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2015年09月07日

「象」






大きなものは、昔から憧れの対象だったんですね。





今月のカレンダーにある言葉は
「See the elephant」

「直訳すると、象を見ろ」なんですが、その意味はとても深いようです。
その文字の下には「厳しい教訓を学ぶ」と書いてあります。

その言葉だけでは納得できないので、調べてみました。

その他の訳では、「世間を知る」「世の中の経験を積む」などとあります。
それにしても、どうして象なのか?さらに調べると、こんな事らしい。

その昔、英米には象を見たことのある人がほとんどいなかった。
人々の中では、象は空想上の生き物だったんですね。
だから、象なんて物を見る事自体が困難なことなんですね。

その他にも、象を使ったことわざはいろいろあります。
「An elephant never forgets.」

象は記憶力がよく、昔の恨みを忘れないってことらしくて、自分に不親切であった人に対する恨みをいつまでも忘れない。
って意味で使われるらしいです。
日本人には、ちょっとピンと来ないんですけどね。

じゃあ、その逆に小さな物の例えはないのか?
これも調べてみると・・。

「蟻の思いも天に昇る」
小さくて無力な者でも、一心に努力すれば、その願いは叶えられる。

「蟻の穴から堤も崩れる」
わずかな事でも油断すると大事を引き起こす。

ってなことわざを見つけました。
日本人であり、小さな自分には、こっちの方がすんなり入って来ます。

でも、「竜の髭を蟻が狙う」なんて言われたら、身も蓋もないんですけどね。

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posted by JUNICHI ICHIMURA at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記