「ゆらぎ」って言葉が使えない気候です。
鬼怒川の氾濫のあと、テレビ各局が取材をし被災者の方にインタビューする様子を見ます。
家を流されてしまった方々は、自分の人生まで流されてしまったようなものですから、インタビューの途中で涙する方々もいらっしゃいます。
最近は歳のせいか涙もろくなってしまって、そんな様子を見ながらこっちまで涙が溢れます。
この災害も人ごとではなく、7年前の浅野川の洪水を思い出すんです。
ウチは幸いギリギリで水が溢れ出すことはなかったのですが、下流100mほどの場所から洪水となって、一帯はドロだらけでした。
最近の気候を見ると、極端ですね。
季節の変わり目になると嵐が起きて、それが過ぎ去るといつの間にか季節が変わっているって感じです。
季節の余韻を楽しむってことができなくなってしまいました。
まるで、歌舞伎のどんでん返しのように、あっと言う間に季節が入れ替わります。
舞台の場合はそれも演出上必要なのでしょうが、日頃の生活の中でそんなことが起きると、慌ててしまいます。
余韻を楽しむってのは、脳の仕組みから言って、人間だけだと思っているのですが、食べることだけを考えても、「残り香」とか「あと口」とか、楽しみ方がありますね。
動物の場合は、単に匂いとしか認知しないのでしょうから、香りって感覚は人間だけなんでしょうね。
「残り香」に関しては食べ物だけでなく、好きな異性の香気を感じてその人を想うなんてこともありますね。
自分にとっては、遠い昔の話ですが。
余韻を楽しむ。
とっても贅沢で、膨らむ楽しみ方なんじゃないだろうか?

