2015年10月26日

「ハロウィンじゃなくて」







USJに行かなくても・・・。





今年は町会長の年なのです。

いろいろな係をやらなければいけない中で「防犯委員」ってのがあります。
校区の中の担当区域を4町会合同で月に一回、夜の8時から9時まで夜回りをします。
ウチの区域は山の中にある町会もあるので、車に分乗していくつかのポイントをまわります。

主に不法投棄がないかを見回っているのですが、夜の山は不気味です。
もちろん人が通らないような獣道を行くわけではなく、自動車道がある一般的な箇所なんですが、公園のトイレの中や崖下なんかを懐中電灯を照らして確かめます。

そこに住んでいる委員から、クマやイノシシと遭遇した話や公園で自殺があった話なんかを聞くと、真っ暗な公園の中を満遍なく調べる勇気はなくなります。
ウチのすぐ近所の町中でも最近クマを目撃した例もあるので、こんな山の中なら当たり前の話です。

最近、大阪のUSJでは「ホラーナイト」なるイベントをハロウィンに向けてやってるようですね。
ウチの娘も先週、友達と行って来たんですけどね。

でもこっちは、本物の「ホラーナイト」です。
しかも毎月の。

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posted by JUNICHI ICHIMURA at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年10月19日

「友達」







現代人はやたらと友達が多いのですが・・・。







snsをやってる人の中には、友達が何百人も何千人もいる方もいらっしゃるでしょうね。
そんな形式だけの「友達」は置いといて、その「友達」の定義を考えてみました。

辞書で調べると、
【友達】
@多くの友。A友。友人
とあるので、「友」を調べると、

【友】
@常に親しく交わる人。友だち。A志を同じくして親しむ者。
とあります。

確かに、常に親しくするには、志す事も同じでないと常には会わないですよね。
それが義務ではなくて、会って話をしたいと思うような関係でないとね。

ってことは、片方が友達だと思っているだけでは「友達」ではないわけで、お互いに「友達」だと思っていなければいけません。

「仲のいい友達」って言葉をよく使いますが、じゃぁ「仲の悪い友達」っているのか?
この場合「仲のいい」は単に修飾語でしょうから、「仲の悪い友達」って言葉は成り立たないんでしょうね。

お互いに尊敬できて、会っている時にはいい空気が流れる。
また会いたいとお互いに思える。
そんな関係が「友達」なんでしょうね。

60年近く生きて来て、そんな「友達」は何人いるんだろう?
自分ではそう思っていても、片思いの場合もありますからね。

恋愛関係なら、お互いに確認するんでしょうけど、「お前、俺の友達か?」って聞くのも変です。

自分が「友達」と思っている人が、相手も「友達」と思っていてくれたとしたら、それも幸せの一つ。


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posted by JUNICHI ICHIMURA at 11:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年10月12日

「運動不足」






体育の日です。





今朝の新聞からの情報ですが、国民全体として運動能力がアップしているようですが、特に青少年と高齢者の運動能力が上がっているらしいですね。

ってことは、中間の20代、30代の年齢層の運動能力は、あまり上がってないってことです。
身体に対して何の不自由もなく、歳をとることも考えられない時代でしょうから、好きでないとしたら努めて運動なんてしませんよね。

自分は若い頃から、身体を動かすのが好きでした。
勤めていた時代から休みの日は何かしらのスポーツをやってた。

テニスや早朝ソフトボール。
冬はもちろんスキー。

これらは、一緒にやる仲間が減っていったって事もあるんですが、年齢と共に興味が無くなって現在はなし。

今は一人でも出来るジョギングにハマって、もう25年ほど経ちますか。
筋トレもたまにはやってるんですけどねェ。

ところが、先日2年ぶりにやったテニス。
散々な結果でした。

イメージ通りに身体が動かない。
腕が上がらない。
おまけに、今年の3月にジョギング中に転んで痛めた右手首。
治ったと思ってたのが、ボールを打つと痛くて思うように打てない。

再び悪化してしまいました。

この連休。金沢は暗い雨模様の天気が続いています。
加えて、珍しく仕事が幾つか重なっているので、ジョギングさえ出来ない日々が2週間ほど続いています。

そんな自分を横目に、カミさんは11月に開催される「金沢マラソン」に備えて、毎日のように必死に練習ジョギングをやってます。

昨晩みたいに、夢の中でマラソンするしかないか・・・.


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posted by JUNICHI ICHIMURA at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年10月05日

「話す人 聞く人」







責任逃れの言い回し。





今月のカレンダーにある言葉

「秋こぬと目にはさやかに見えねども
  風の音にぞおどろかされる」

古今和歌集なんて全然なじみがないものですから、調べてみました。

詠み手は、藤原敏行。
意味はだいたい想像がつきますね。

ただ、「さやか」って言葉と「おどろかれぬ」って言葉に惑わされます。

「さやか」は「はっきりと」
「おどろかれね」は「気づいた、感じた」って意味らしいです。

風の音って言う意味では、先日の爆弾低気圧には「感じた」って意味ではなく、本当に「おどろかされる」事になりました。

言葉ってのは、時代を追う毎にその意味が変わっていきます。

現代の「やばい」も、自分としては好きではないのですが、社会的には認知されつつありますね。
その時と場合によって、「やばい」のか「ヤバイ」のか?
聞き手の方が判断しなくてはいけない。

こんな事で悩まなくてはいけないのは、日本語独特の世界観です。

自分の想いを相手に伝える為にあるツール。それが言葉や文字です。
それが、相手に解釈を任せることで良しとしてしまう。

言葉の語尾に「みたいな」を付けてしまうのも、自分主体ではなく、相手に判断を任せるってこと。

これ、日本人が話すことを英語に訳すと、ほとんどの事がアバウトになってしまうってことです。
後出しジャンケンのようにも感じます。
相手によって、「そんなつもりではなかった」と言い換えることができる。

和歌や短歌の世界ならそれでも良いし、想像の幅を持たせる為の表現なんですけどね。

政治家さんや官僚さん達も、この日本語の幅を悪い意味で、大いに利用しているように感じます。

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posted by JUNICHI ICHIMURA at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記