2015年10月05日

「話す人 聞く人」







責任逃れの言い回し。





今月のカレンダーにある言葉

「秋こぬと目にはさやかに見えねども
  風の音にぞおどろかされる」

古今和歌集なんて全然なじみがないものですから、調べてみました。

詠み手は、藤原敏行。
意味はだいたい想像がつきますね。

ただ、「さやか」って言葉と「おどろかれぬ」って言葉に惑わされます。

「さやか」は「はっきりと」
「おどろかれね」は「気づいた、感じた」って意味らしいです。

風の音って言う意味では、先日の爆弾低気圧には「感じた」って意味ではなく、本当に「おどろかされる」事になりました。

言葉ってのは、時代を追う毎にその意味が変わっていきます。

現代の「やばい」も、自分としては好きではないのですが、社会的には認知されつつありますね。
その時と場合によって、「やばい」のか「ヤバイ」のか?
聞き手の方が判断しなくてはいけない。

こんな事で悩まなくてはいけないのは、日本語独特の世界観です。

自分の想いを相手に伝える為にあるツール。それが言葉や文字です。
それが、相手に解釈を任せることで良しとしてしまう。

言葉の語尾に「みたいな」を付けてしまうのも、自分主体ではなく、相手に判断を任せるってこと。

これ、日本人が話すことを英語に訳すと、ほとんどの事がアバウトになってしまうってことです。
後出しジャンケンのようにも感じます。
相手によって、「そんなつもりではなかった」と言い換えることができる。

和歌や短歌の世界ならそれでも良いし、想像の幅を持たせる為の表現なんですけどね。

政治家さんや官僚さん達も、この日本語の幅を悪い意味で、大いに利用しているように感じます。

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posted by JUNICHI ICHIMURA at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記