2016年04月29日

「 朝の散歩 0429 」








高いところに上がる

見通しが良い風景が広がります

おなじ目線の先ばかりを見つめていては

もったいないのです

国の一番高いところにいる人達は

なにを見つめているのでしょう






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ー東山寺院群 西養寺からの風景ー
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2016年04月27日

「 朝の散歩 0427 」





どんな人が隣にいるかで 変わる

どんな人の隣にいくかで 変わる

どれだけの人が隣にいるかでも 変わる




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ー浅野川 鈴見橋付近ー
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2016年04月26日

「 朝の散歩 0426 」









立ち寄った神社での願い事

夢や希望を願います

でも神様も忙しいでしょう

努力の足りない部分を埋めてくれる

そう考えるのが正しいのでしょう



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ー東山 卯多須神社ー
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2016年04月25日

「恐怖と怒り」








描く根本を教わったような。







今朝、テレビ番組で、草間弥生さんを取り上げていました。
ドットの作品で有名な方ですね。

幼い頃は、母親に絵を描く楽しみを理解されず、何日もかかって描いた絵をゴミのように燃やされたりして、描くことそのものを否定され続けて育ったようです。

そんな環境から、次第に目に見えるもの全てが水玉に見えるようになった。
その恐怖から逃れるために、その情景を絵に描くようになったそうなんですね。

描くことによって、その恐怖を浄化していたようなんです。

考えてみると、絵を描くってことは、大なり小なりそんな事なのかも知れません。

自分の中の「恐怖」や「怒り」を描いているのでしょう。
だから、それが切羽詰まった絵には力があり、見る人を引きつけるのだと感じます。

「幸せ感」や「楽しさ」では絵は描けないのではないか?
とさえ思ってしまいます。

「いや、キレイな女性やキレイな花を描く絵もあるじゃないか」
とおっしゃる方もいると思います。

しかし、例えば美しい女性や花を描く場合でも、それを自分のものとして手にいれたいけれど、手に入れることができない。
そんな「怒り」やもどかしさが描くエネルギーになっているような気がします。

想い通りに生きられない人生、世の中に対する不満、様々なジレンマ。
自分の心の中に溜まったそれらのことを浄化するために、絵描きは絵を描くのだと感じます。

無理に不幸だと感じる必要もないけれど、行き詰まった時こそ描くチャンス。

そう思うことにしましょう。


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2016年04月22日

「 朝の散歩 0422 」




雨の日



閉じ込められてるわけではありません

外へ出たいと思わないだけなのです

一歩出て、外の空気に一旦触れれば

なんてことはないんです




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2016年04月21日

「 朝の散歩 0421 」







ほしい、ほしい

それだけじゃぁ ダメなんだなぁ

与える人に人は集まる


反省




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ー兼六園下 バス停にある庭園にてー
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2016年04月19日

「 朝の散歩 0419 」








山道の傍らに祠(ほこら)を見つけました。

その昔、旅人は長旅の途中でこれを見つけて一息入れることもあったんでしょう。

これがある場所には何か意味があるはず。

人生の長旅にもあちこちに見えない祠があったことでしょう。

これからもあるのでしょう。

それに気付くのか、気付かないのか。



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2016年04月18日

「他人事の悲しさ」








何かできることがあれば・・・とは思うのですが。







腰を痛めて、30年続けてきたジョギングができなくなった。

手首を痛めて、たまにやるテニスができなくなった。

そんなことでも落ち込んでしまうのに、生活そのものや、大事な人を無くしてしまった喪失感は、他人がどれだけ想像しようとしても想像できません。

テレビは、その悲惨な状況を刻々と伝えます。

遠く離れたこの地で生活していると、そんな事など別世界の話のように聞こえてきます。

たぶん、多くのひとは自分の生活に精一杯だから、そこに入り込むことなどできません。
腰痛の方が優先順位は先なのです。

なんて嫌な人間なんだと、自己嫌悪に陥ります。

悲しい想いをした分だけ、人は優しくなれると言います。

自分がいかに幸せな人生を送って来たのかを、思い知らされます。


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2016年04月16日

「 朝の散歩 0416 」







一人の力は小さくても

数が集まれば なんとかなる

頑張れ!




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2016年04月14日

「 朝の散歩 0414 」






人間の身体は真直ぐな動きが苦手です。

だから直線を描いたつもりでも円弧を描いてしまいます

そんなに硬くならないで

柔らかく柔らかく



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2016年04月13日

「 朝の散歩 0413 」





橋渡し

人と人との橋渡し

「デザインする」はそんなこと

でも、絵を描くってのは

その間の川をたった一人、舟で行き来する

そんなことなのかも知れない




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2016年04月12日

「 朝の散歩 0412 」




朝日が好きです。

大きな希望がもてるから

暗闇の中のわずかな光が好きです。

小さな希望がもてるから



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2016年04月11日

「食べる」








「今度また飲みに行こう!」
は、あてになりませんが・・・。







季節の野鳥を身近に感じたいと思い、野鳥の餌をペットショップで買って来たことがあります。

テラスの片隅みにその餌を少し撒いて待っていると、来るのはスズメばかり。

その餌は穀物をいろいろブレンドしたものなんですが、調べると殆どの野鳥は虫やミミズなんかを食すようで、そんなものを撒いても来ないのです。

見慣れたスズメなどを見てもしょうがないと思うのですが、餌を啄むその姿を見ていると可愛いものです。

動物園で「動物達にエサを与えないで下さい」と言う看板を見かけることがあるのですが、それにも係らずエサを与えてしまう族がいて、問題になったりもします。

なぜ人は他が食する風景を見て心地よく感じるんでしょうか?

仲のいい友達とたまに会って「今度一緒に食事をしよう」と挨拶のように言ってしまうし、それをしたいと思うのはなぜなんだろうか?

野生の生き物の食は生死を左右するものですから、他が食する姿を見て嬉しいなどと感じるはずがありません。

生まれた赤ん坊が、真っ先に発達するのは、目と口のはずですね。

目で母親を見ようとし、口で触れてその触覚を確認する。

見て感触を共有する。
そんな本能的なことに繋がるんでしょうか?

とにかく、親しい仲間達や家族との食事は楽しいものです。

お花見の季節。
あちこちで楽しさと美味しさを共有したことでしょうね。


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2016年04月09日

「禅の教え」






今、目の前のことに集中する

先のことも過去のことも、雑念を払って

今に集中する

そうすれば不安はなくなる





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2016年04月08日

「処方箋」






処方箋にお金を請求されてたこと
今まで知らなかった。

今日、病院での手違いで、支払いを済ませたあとに
これをもらったから分かったこと。

自分達の仕事は「サービス業」の枠の中にあるらしいけど、
そんなことを考えるとまさに、「サービス」業。


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2016年04月07日

「朝の散歩 0407 」




迷い事

人生何処まで行っても迷い事

枝分かれした先は無数にあれど

どこに輝くものがあるんだろうか



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2016年04月06日

「朝の散歩 0406 」



朝の散歩


カメラを片手に澄み切った空気の中を歩きます。

ジョギングをする人が横切ります。

今まで当たり前にできていたことがとても幸せなことだったんだと気付きます。

腰が痛くて走れない。


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2016年04月04日

「過大評価」








見る目だけは付いて来てるのかも知れない。






先日聞いたラジオ番組での話。
東京大学薬学部教授で脳の研究家の池谷裕二さんがお話してました。

「能力の低い人間ほど、自分の実力を過大評価する」らしいんですね。
能力が低いが故に、自分の位置や実力を把握できていないってことです。

耳が痛い話なんだけど、確かに若い20代や30代の頃は自分も自分の実力を過大評価していたように思います。

仕事では様々なタッチやモチーフのイラストを描いて来ました。
その全てが納得して描いたものではありません。
自分の価値観とは違った絵を描いた事も多々ありました。
仕事ですから当然と言えば当然なのですが、そんな中、評価を受けたのは自分のみの力ではなく、その仕事に係ったデザイナーやコピーライターや代理店の営業の力があったこその評価でもあるのです。

若いうちはそんなことも理解せずに全て自分の実力のように考えてしまうんですね。

ところが現在はと言うと、逆に全く持って自分の作品には自信がないのです。
イコール、実力が付いたってことに繋がればいいのですが、それとこれとは別なのかな。
答えのない深い森に迷い込んでしまった。

自分にとっての「美」の価値を探すことに興味が行ってしまいました。
カッコ付け過ぎかも知れませんが、自分にとって何が「美」なのか?ってことを追求したくなって来た。

こんなことをやっても何一つ社会の為にはならないし、自己満足なだけなんですけどね。
内にこもる制作活動です。

でも、自分が自分である為には、描く必要がある。


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