2016年04月25日

「恐怖と怒り」








描く根本を教わったような。







今朝、テレビ番組で、草間弥生さんを取り上げていました。
ドットの作品で有名な方ですね。

幼い頃は、母親に絵を描く楽しみを理解されず、何日もかかって描いた絵をゴミのように燃やされたりして、描くことそのものを否定され続けて育ったようです。

そんな環境から、次第に目に見えるもの全てが水玉に見えるようになった。
その恐怖から逃れるために、その情景を絵に描くようになったそうなんですね。

描くことによって、その恐怖を浄化していたようなんです。

考えてみると、絵を描くってことは、大なり小なりそんな事なのかも知れません。

自分の中の「恐怖」や「怒り」を描いているのでしょう。
だから、それが切羽詰まった絵には力があり、見る人を引きつけるのだと感じます。

「幸せ感」や「楽しさ」では絵は描けないのではないか?
とさえ思ってしまいます。

「いや、キレイな女性やキレイな花を描く絵もあるじゃないか」
とおっしゃる方もいると思います。

しかし、例えば美しい女性や花を描く場合でも、それを自分のものとして手にいれたいけれど、手に入れることができない。
そんな「怒り」やもどかしさが描くエネルギーになっているような気がします。

想い通りに生きられない人生、世の中に対する不満、様々なジレンマ。
自分の心の中に溜まったそれらのことを浄化するために、絵描きは絵を描くのだと感じます。

無理に不幸だと感じる必要もないけれど、行き詰まった時こそ描くチャンス。

そう思うことにしましょう。


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posted by JUNICHI ICHIMURA at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記