2017年06月30日

「 朝の散歩 29_0630 」









晴天の光に囲まれていては 気付かない

暗ければ 暗いほど

一筋の光で それは輝く

自分では 気付かないけど

すべての人が 必ず持っている

そんな宝石








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ー金沢 東御影ー
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2017年06月28日

「 朝の散歩 29_0628 」







陽の光も 浴びず

ドロの中で ひっそり こつこつと

輝くような 美しい花を咲かせるには

そんな時間も 必要






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ー金沢城 内ー
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2017年06月27日

「 朝の散歩 29_0627 」






何百年も ここにいる

苦労は 何百倍もした

見たくないもの 何百倍も見た

幸せ 何百倍もあった

ずっと見ていたいもの 何百倍もあった

今の世の中 退屈すぎる




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ー金沢城 本丸の森ー
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2017年06月26日

「 散歩の意味 」





散歩が好きです。




散歩の「散」の字の意味を見ると、「ちる・ちらかす」の他に、「とりとめがない・しまりがない」と言った意味が並びます。もちろん散歩に当てはまる、「気ままである・ぶらぶらしている・ひま」と言った意味もあります。

これらを総合的に考えると、「しまりがなく集中していない」って意味になるのかな?

でも自分がやってる朝の散歩は、結構しまりがあって、集中してるんです。
何か綺麗に切り取る風景はないかと、目をギラギラさせて見たり、筋肉をなるべく使うように坂道を選んだり。だからほどほど頭も身体も疲れる。

じゃあ散歩じゃないんじゃないか?とも考えるのですが、心を解放するって意味では散歩してるんです。

何の縛りもなく、自由にイメージの中を散歩出来る。

アートするってことも、これに似ているのかも知れないのですが、これだけじゃ人の心に響く物は創れないですね。強いメッセージがないと。

毎週このブログに描いているイラストも、単なる落書きに過ぎない。「散歩」の域を脱しない。

でも、筋肉と同じように、毎日ちょっとずつでも続けるとちょっとずつその意味は変わってくる。




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2017年06月23日

「 朝の散歩 29_0623 」






階段を

一歩一歩 じっくり踏みしめたり

二段飛びで 登ったり

振り返えれば

その階段は ずいぶん遠くに見下ろせる

今はちょっと 一休み

でも 上を見上げて また登る





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ー金沢 W坂 (AM.8:00)ー

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2017年06月21日

「 朝の散歩 29_0621 」








通りゃんせ 通りゃんせ

ここは どこの 細道じゃ

ちょっと 通してくだしゃんせ

御用のないもの 通させぬ

確かに 御用はないけど

通ります







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ー金沢 能楽堂入り口(AM.7:30)ー
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2017年06月20日

「 朝の散歩 29_0620 」







謎めく もの

そこには さまざまな 物語が生まれる

「迷い」「危機」「出会い」「感動」

森を行く

人生を往く





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ー金沢 卯辰山(AM 7:10)ー
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2017年06月19日

「 頂いたものは、また誰かに・・ 」





犬も飼いたいのですが・・。




小学生の頃、拾って来た犬を飼っていました。
その子犬は真白で、とても利口そうな綺麗な顔立ちをしていたので、シロと名付けました。

母親は反対したのですが、無理にねだって許しを得たのを覚えています。

当時は犬を家の中で飼うという習慣がそれほどなかったので、父親が日曜大工で犬小屋を作って、裏庭に置いてた。
フェラリアの予防接種なんてものもしなかったから、それで死んでしまったんですけどね。

今でも夏に裏庭の掃除をすると、何箇所も蚊に刺されるのに、当然と言えば当然なのです。
でも、当時ウチはそんなに裕福でもなかったし、ペットにそれだけお金をかけるつもりもなかったんでしょうね。

それ以来、ウチではペットらしいペットは飼うことはなく、現在に至っているのですが、父親は生き物を飼うのが好きだったようで、それ以前にも文鳥を飼っていたし、シロが亡くなった後も、熱帯魚を飼っていました。
そんな自分も現在メダカを飼っていることを考えると、やはり親子だと感じます。

無償の愛ですね。
相手からは何の見返りもないのに、気になるし世話をやきたくなる。

人は、愛情を人からもらわないと生きては行けないけれど、またその貰った愛情も、誰かに分け与えないと生きてはいけないんでしょうね。

愛でお腹がいっぱいになったら、誰かにそれを分ける。
空いた所にはまた誰かが愛を注いでくれる。


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2017年06月16日

「 朝の散歩 29_0616 」







去年 道ばたで 出会った 一輪の野花

今年は 家族が大勢増えていた

大家族になった その花は

誇らしげな 顔をして

どう 立派になったでしょう?

     ※

ウチは 家族が減るばかり





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ー金沢 東山1丁目ー
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2017年06月14日

「 朝の散歩 29_0614 」









暴走 氾濫する自由は 美しくはない

決められた 枠の中を 自由に遊ぶ

そこに 美しさが 生まれる

その枠を作るのは 自分自身

その作業ができる

それが 自由






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ー金沢 しいのき迎賓館ー
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2017年06月13日

「 朝の散歩 29_0613 」







鮮やかに囲まれた 鮮やかは 存在がない

引き立ててくれる もの 人

その中で 一層輝く

闇もまた

輝きの影で 奥深く 静かに 沈みゆく






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ー金沢 尾山神社ー
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2017年06月12日

「自意識過剰?」







自分は何様でもないのに。







朝の散歩では、主に風景写真を撮ります。

最近では熊の出没情報が多いので、山の方にはなかなか足が向かないのですが、家の目の前にある卯辰山からは、朝早くから散歩で降りてくるお年寄りも見かけます。
そんなに神経質になる必要もないのかも知れませんけどね。

山に行かないとなると、街に出掛けることになります。
自然の風景と街の風景。
その大きな違いは、そこに生活があるか、ないかだと思います。

風景写真には少し慣れてきたのですが、人物を撮るのは苦手です。
難しい。
プロの写真は、その人の生活や人生までも映し出しているようですが、まず、人にカメラを向けること自体が苦手です。

知っている人間にさえ照れがあるのに、何も知らない赤の他人になんかに向けれるはずがない。
下手をすれば、文句を言われるんじゃないかと不安にもなります。

プロのカメラマンの様にはいきません。

そう言えば、人物クロッキーを人混みの中でやりたいと常々思ってはいるのですが、これも人に絵を見られるのが嫌で、一歩が踏み出せない。

本質的に人嫌いなんでしょうかねぇ。

今更本質は変えられないのでしょうから、自分の個性として生きるしかないのでしょう。
それとも自意識過剰なんでしょうか?

人は、それほど他人に興味を持ってはくれない。


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2017年06月09日

「 朝の散歩 0609 」







光が 踊る

希望も 不安も

かき混ぜながら 光は 踊る

繰り返し 繰り返し

今日が 始まる





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ー金沢 浅野川ー
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2017年06月07日

「 朝の散歩 29_0607 」







服の洗濯は できない日

雨の日は 心の洗濯

流せるものは 流しましょう

明日のお日様を 想って





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ー金沢 玉川町付近ー
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2017年06月06日

「 朝の散歩 29_0606 」









青は 地球の色

宇宙を見上げても 宇宙から見下ろしても

青に包まれてる

地球人の色






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ー金沢東山 天神橋ー
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2017年06月05日

「 こんなのできませんか? 」








必要がないと思えば、必要ない







現在使っているスマホは買って3年ほど経っているでしょうか?
通常の家電品だと、3年はまだまだ新しいと感じるものですが、コンピュータやこのスマホの場合は、もう古いと感じてしまいます。

それだけこれらの世界は変化が激しいって事です。

でも考えてみると、様々な機能のうち、使っているのは極限られたもの。
必要だと思って入れたアプリも、ほとんど使わない。
本当に必要だと感じるのは、ナビ機能と、東京へ行った時の電車の乗り換えアプリくらいなものでしょうか?

散歩する時も、イヤホンで音楽を聴くよりも、自然や街の音を聴く方が刺激があるし、楽しい。

増してこの歳になると老眼で、小さな画面を見るのは辛いので、iPadの方がメインになってしまいます。

外出時に何かで待ち時間ができてしまった場合に、テザリングでiPadを使う事が多々あるので、これはあった方が良いとは思うんですけどね。

こう考えると、一番効率的なのはガラケイにテザリング機能が付いていれば自分にとっては一番なわけです。

データ通信の容量も平均すると2ギガほどしか使ってないし、本当に通話とテザリングだけできれば、あとは何にも要らない。
そんなプランを何処かの電話会社が作ってくれないものでしょうかねぇ。

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2017年06月02日

「 朝の散歩 番外編0602 」







人も 想い出も 運ぶ

ビルの間を駆け抜ける

兄さん 粋だねぇ〜

人力の 力







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ー金沢 橋場町 5月29日撮影ー
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