2017年07月31日

「 記憶 」







人の記憶と言うのは、いい加減です。





特に、自分に取って都合の悪いことは、都合が良いように記憶を差し替えて覚えている場合があるそうですね。
時が経てば経つほどそれは起こるそうで。
だから、本人はウソをついている意識がなくウソを言っている可能性もある。

最近また、「記憶にない」って言葉を耳にします。

もし、本当に記憶がないとしたら、本人が「記憶が無くなればいい」と強く念じて、なくしてしまうこともあるのか?
でも、1年や2年前のことを「記憶にない」と言うのは、いただけない。

1年前の今日の晩飯は?って聞かれたら、そんなものは誰も覚えてないんでしょうけどね。
仕事に関して、しかも誰に会ったかは覚えているはずですよね。

先日からの閉会中審査を見ていると、「記憶に無い」とか「破棄しました」とか、まさしく人間の脳内で起きている作業を見ているように感じます。

自分にとって都合の悪いことは、言い訳に置き換える。
もっと都合の悪いことは、破棄したことにする。

今や街中に監視カメラが設置されていますが、これだけ記憶を無くす方が多いと、国会内や官庁の各事務所にも監視カメラを設置しなければいけないんじゃないでしょうか?

人間の記憶は都合良く替えられる。


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2017年07月28日

「 朝の散歩 29_0728 」






働く

金を稼ぐために 働く

人の役に立ちたいから

自分の存在を 確認したいから

思いやりを 持ちたいから

目的を持ちたいから

人生を 学びたいから

働く





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ー金沢 浅野川ー(AM.7:20)
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2017年07月27日

「 朝の散歩 29_0727 」







鏡に姿を映す

心が映る鏡があればいいのに と思う

その鏡を 探す旅

一生を終える時

それは 目の前に現れるのだろうか






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ー金沢 鈴木大拙館ー(AM.7:35)
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2017年07月26日

「 朝の散歩 29_0726 」







雨がやんだ

水の音がやんだ

虫の声が聞こえる

鳥の声が聞こえる

青い色と 風の中

すべてが また動き出す






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ー金沢 誓願寺ー(AM.7:15)
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2017年07月25日

「 朝の散歩 29_0725 」







苦しい涙は 我慢できる

嬉しい涙

悲しい涙は 我慢できない

いくつもの 記憶が

涙を 後押しするから





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ー自宅にて/豪雨の為散歩できず。ー(AM.7:00)
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2017年07月24日

「 気遣い 」





お願いするしかない状況。




社会人一年生は、広告代理店で協賛広告を取ってくる営業をしていました。

新聞の下半ページに、石垣のようにビッシリと並んだ、横位置の3cm×7cmほどの枠の中に社名と住所程度しか入らない、そんな名刺広告を取って来るのが仕事でした。
ただ頭を下げることしか出来ないこの仕事が嫌で、1年で辞めたんですけどね。

ほとんど誰も見ない物に、当時ひと枠3万円の広告料を頂く。
心苦しいから、頭を下げて、お付き合いをお願いするしかない。
デザインも何も全く関係ない仕事でした。

そう、お付き合いなんです。寄付と同じ。

もうそんな仕事とは縁がないと思っていたのですが、去年から年に一度、また同じ様な事をやる羽目に。

仕事ではないのですが、公民館の仕事で。
社会体育大会のプログラムの制作費を稼ぐ為に担当町会を回って協賛広告を頂かなくてはいけない。

これは協賛するお店も寄付だと割り切っているのですが、やっぱりあまり良い顔はしないし、心苦しいのです。

そんな自分もボランティアで動いているんですけどね。

払ったお金に見合った見返りがあるような広告になりる方法を考えた方が良いと思って、自分の頭の中にはあるのですが、これを実現するには時間と手間がかかる。
結局今度はこっちがタダ働きしないといけなくなる。
だからまだ現状のままなんですけどね。

この世の中、やっぱり人の気遣いで成り立っている部分が多いんですね。
しかし、税金を使っての忖度には、NO!と言いたいですが。


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2017年07月21日

「 朝の散歩 29_0721 」






境界線

見えない境界線もあれば

形にしなければならない 境界線もある

人は 見える境界線を造った

神は 多分 それを望んではいない





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ー金沢 尾山神社ー(AM.7:25)
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2017年07月20日

「 朝の散歩 29_0720 」





長い旅を経て

堅い大きな図体は 少しずつ 削られていく

濁流にもまれ 急流をくだり

形は変わる

そして 一番強い形になる

内からも 外からも強い形

丸に変わる







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ー金沢 東山1丁目ー(AM.7:10)
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2017年07月18日

「 朝の散歩 29_0718 」







風が吹く

木々はつぶやき 互いに 話し始める

狸になった 僕は

妄想の光を 横目に見て

薮の中に入っていった

仲間が待つ 薮の中へ




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ー金沢城 本丸の森ー(AM.7:15)
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2017年07月17日

「 増殖 Part2 」







昔、YMOのアルバムに「増殖」ってタイトルがあった。






メダカの寿命って、どれ位なんでしょうかね。
ウチのは随分長生きしている方だと思っているのですが、その分成長も比例して大きいやつは3cmほどあると思います。

日本メダカだと、こんなに大きくはならないと思うのですが、ヒメダカってのはデカクなるものですね。
金魚と言っても良いくらい。

そんなメダカをテラスの睡蓮鉢で飼っているのですが、装飾用に入れた水草が増殖して、水面いっぱいになってしまった。
それで、半分位を室内用の金魚鉢に移したのですが、その数日後、じっくり中を覗くと何やらうごめくものが・・・。
これまた増殖。稚魚がウヨウヨ。

今回はとても数が多いように感じます。
せっかく生まれた命です。何とか成長させたいと思っているのですが、これだけの数をどうしようかと言うのも悩みどころ。

ヒメダカ可愛いですよぉ〜。
どなたか要りませんかぁ〜。

餌をやりに行くと、ちゃんと寄って来ますよぉ〜。


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2017年07月14日

「 朝の散歩 29_0714 」







森の小人は 見ている

日向で起きている事を
影で ジッと見ている

そして 仲間は
ポコポコと頭を出し

アッと言うまに 増えていく

日向の巨人は恐れ 慌てはじめる




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ー金沢 石川県立能楽堂ー(AM.7:20)
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2017年07月12日

「 朝の散歩29_0712 」






紫は 高貴な色

青の冷静と

赤の情熱が 合わさった色

魂は燃やして

頭はクールに





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ー金沢 常盤町ー(AM.7:10)
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2017年07月11日

「 朝の散歩 29_0711 」







世間に流されず

滅多なことでは 涙せず

清潔で 簡素で 静寂で

そんな 渋い男には

なかなか なれない





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ー金沢 西本願寺ー(AM.7:20)
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2017年07月10日

「 勉強中 」






子ども達も全員親離れしたので・・・。





以前から犬を飼いたいと思ってました。
でもその前に犬の事を勉強しなければと思い、手始めに買った本がこれ。
「シーザー・ミランの犬と幸せに暮らす方法55」

カリスマドッグトレーナーのシーザーミラン氏が書いた本です。
写真を見て思い出したのですが、そう言えば昔テレビでもお顔を拝見したような。

仕事の合間にちょこちょこと読み始めたばかりなので、感想を書くまでは至ってないのですが、自分が理想と思う考え方と方向性が合っていると感じました。

・犬は人間が喜ぶ感情を感じて、自分も喜びを感じると言う事。
・リーダーは人間でなくてはいけないと言う事。
・感覚情報が脳に伝わる順番は、人間が「視覚」が一番なのに
 対して、犬は「嗅覚」だと言う事。
・犬は瞬間を生きているって事。
・本来は野生の動物だと言う事。
・犬は、人間のエネルギー(+も−も)を敏感に感じ取ると言う
 事。

取り敢えずはそんな内容を勉強中です。

以前から自身で思っていた事なのですが、「犬」は「犬」として生きて行くのが幸せなんだと思う。人間の価値観で、人間に当てはめて生活させてしまってはストレスがたまるのではないかと。
その考え方は間違っていなかったんだと確信しました。

意識しなくても犬が寄って来る人もいれば、一目見ただけで犬が逃げ出す人もいるのには理由があることも書いてあります。

「パック・リーダーとして成功する人は、人としても成功する」って一行にそれは繋がるんですけどね。

理想としては、例え小型犬でも軍用犬や警察犬のようにしつけたいと思っているのですが、これは飼い主次第ですね。
散歩の時も、決して飼い主の前は歩かない。
そんな姿を夢見ているのですが、簡単ではないのでしょうね。

飼うとなれば、家族の一員です。
ここは慎重に考えたい。


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2017年07月07日

「 朝の散歩 29_0707 」





機能美

自然から教わる形

理屈は分からないけど

美しく感じるのは

人が地球と繋がっているから





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ー金沢 東山/天神橋(AM.700)ー
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2017年07月05日

「朝の散歩 29_0705 」







面構えのいい店は

酒もまた 旨し

気が付けば 夜明け

そんなこともあった 青春時代

酔いは 醒めても 想い出は醒めず

また その想い出を 訪れる





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ー金沢 片町 倫敦屋BARー(AM.7:20)
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2017年07月04日

「 朝の散歩 29_0704 」








水に流す

街のほこりも 車の窓も

水は 流す

心の ちりも 

心の 垢も

流れてしまえ






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ー金沢 東山茶屋街ー
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2017年07月03日

「 遺 品 」





捨てづらいものもあります。




ここのところ珍しく仕事が忙しいのですが、そんな中、ちょこちょこと両親の遺品整理をしています。

紙のものはほとんどが必要のない物なので、ゴミ袋にポイポイ入れて行くのですが、もう亡くなったとはいえ、個人情報に関するものは何かに悪用されてはと思い、シュレッダーにかけたり、手で細かく千切ったりしていると結構時間がかかります。しかもこの種類の物が圧倒的に多いのです。

まだまだ先は長そうです。

これに加えて、また衣類が大量にある。オシャレが好きだった母親でしたので、着れなくなった物でも捨てずに沢山とっていたから。
それに父親が亡くなった後には、ほとんど何もしなかったんで、その分も。

この服達もそのうち時が来たら、リサイクルショップにでも預けに行こうかと思っているのですが、さすがに身に付けていたものは簡単にポイって捨てるのには気が引けますね。
何だか魂がまだ残っているような気がして。

それら遺品の中で、特に捨て辛いと思うものがあります。
最後まで使っていた手提げ袋。
デイケアに行く時も、病院に行く時も、これが必需品でした。
出かける時は、常に自分が付き添いでしたので、この手提げ袋には思い入れがあります。

親にとって、子供はいくつになっても子供だと言います。
でも、子供にとって親は、亡くなった後も親なんだと感じるのです。

この袋、とっておこうかな?



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