「心のキャッチボール」って言葉があります。
まだ小学生だった頃、当時金沢大学の事務局に勤めていた父の当直明けの日のこと。
当時、今の金沢城の中にあった金沢大学に母に連れて行ってもらって、そのグランドで父とキャッチボールをしたことがあります。
その日目に映った映像や様子は、今でもハッキリと頭の中に残っています。
学生の頃に野球をやっていた父は、得意げにボールを投げかけて来ました。
自分はと言うと、ボールを取り損ねて後ろにそらし、遠くまで取りに行くことがほとんどだったと思うのですが、やはり楽しかったのだと思います。
何を会話するでもなく、ただボールを取り合うだけのキャッチボール。
でも、そこには父から子へ、子から父へのメッセージが込められているような気がします。
「大きくなったな」
「でも、まだこの球は取れないだろう」
「早くこの球を取れるように大きくなれ」
「お父さんはすごいね」
「でも、もう少し手加減してよ」
心の中では、そんなことを言っているようにも感じます。
人それぞれ感じることは違うでしょうが、父と子のキャッチボールは色々な会話が成り立っているように思うのです。
自分の息子達とのキャッチボールは、正直言ってあまり記憶がありません。
と言うのも、二人の息子達は小学生の低学年から学童野球をやり出して、自分とはキャッチボールをやる時間があまり取れなかった。
唯一覚えているのは、長男が高校生になってからのキャッチボール。
長男は高校でも野球をやっていて、控えではありましたが、ピッチャーをやっていました。
良い回転で飛んで来るその球は中々の速いボール。
その頃になると自分は歳を取るし、肩がうまく回らなくなったりもするし、投げ方を忘れもします。
息子に教えてもらいながらのキャッチボール。
遂には、硬式のボールでピッチングをやりたいと言い出す。
さすがに石のように硬い物を全力で投げかけられて取る自信はないので、遠慮させてもらった。
今、改めて息子達とキャッチボールをやって、どんな心の会話ができるのか?
興味津々ではありますが、こちらが果たしてボールを投げることができるのか?
そこが問題だ。

