捨てる物 残す物
先日も書いたのですが、来年1月の個展に向けて、地下室の物置を作業部屋にする為に大掃除をしているのですが、とにかく両親が残した遺品が多い。
ボロボロになった桐のタンスやただ古いだけのタンスがまだ残っています。
そんな中、先日も比較的綺麗な書棚を中古買取の店に売ろうと運び出したのですが、何せ重い。
ちょっと床にずらしただけで、裏面や底の板がバリバリと音を立てました。
地下から地上へ、それを今度は車へと運ぶうちにサイドの化粧板も裂ける始末。
それでも買い取って貰えるかもと店へ持って行ったのですが、案の定「これは買取出来ません」と言われてしまった。
そんな事で、もう一つあった桐のタンスと共に、卯辰山にある埋め立てゴミ処理場行きとなりました。
タンス一点一点を市に頼むと、それぞれに1,000円のゴミ処理手続き用のシールを貼らなくてはいけません。
それを考えると、直接持って行った方が車一台分で1,200円。
ウチの車はミニバンなのでタンスをバラスと3竿位は積めるのです。
両親が亡くなってからもう何回もこれをやってるんですが、まだ物置の奥には2竿のタンスが残っています。
その作業の傍ら、ご先祖が残した遺品を取り出して整理をするのですが、これがなかなか珍しい物を発見したりもするのです。
大正時代の写真があったりすると、掃除もそっちのけで見入ってしまいます。
自分が知らない先祖の方々の方が多い。
女性の頭は日本髪で曲げがあったりします。
この方々が自分と血が繋がっていると思うと、とても不思議に思うのです。
自分達もその内あちらの世界に行って何十年も経つと、同じ様に感じる子孫達がいると思うと、これもまた不思議な感じがします。
今の時代は写真もデジタルですから、大掃除をしていて、ひょっこり写真が出て来るってことはないでしょう。
デジタルデータが入っている媒体からデータを取ろうとしない限り、見ることはなくなってしまうと思うのです。
DVDもSDカードもその物だけを見れば、ただのゴミになってしまう。
そんなことを考えると、自分がボケて何も出来なくなってしまう前に、デジタルデータの整理をしなければならない。
仕事で使ったパソコンの中身も綺麗に消去しなくてはいけません。
残す物と消去する物を区別する必要も出てきます。
今、両親の遺品整理をしていて思うのは、子供達にはこんな面倒をかけたくないと思うこと。
自分の存在を意図して残す必要もないと思うのです。
もし残すとすれば、子供達の思い出の中だけにあればいいんじゃないかな?
その他の物は、結局置き場所に困ってしまうゴミになってしまうように思えます。
残す物と捨てる物をハッキリ区別するってことは、生き方の方向を決めるってことでもあるのです。
人間関係も含めて。


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posted by JUNICHI ICHIMURA at 10:26|
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