2020年02月05日

「 朝の散歩 2020_0205 」



「手 袋」


「ふぅ〜…。」

出るのはため息ばかりだった。
固まった絵具が まるでオブジェの様にパレットの上を占領している。

もう何十年こんな生活をして来ただろう。
売れない画家は 北窓からの薄い光が入るボロアパートの一室で
キャンバスに向けている筆を止めた。

収入と言えば 週に二回の小学生相手の絵画教室。
男一人が生活するのにはギリギリの収入だった。

窓の外を見ると 学校帰りの子供達が楽しそうに走って行く。
「あ〜 もうやめた。」
男は絵具だらけのズボンのまま そとへ飛び出した。
川沿いを歩くと心地良い風が頬を撫で 足元には小さく黄色い花達が揺れる。
このまま何処かへ行ってしまいたいと 思った。

暫くしてアパートに帰ると 門の前に一つの手袋が落ちていた。
何気なくその手袋を拾って 部屋に戻る。
意味は無かった。ただの暇つぶしに右手にはめてみる。
その瞬間 稲妻の様な光が目の前を走り 目の前を多くの映像が走り抜ける。
それは一瞬の出来事だった。

何事も無かった様に静まり返った部屋で 男はキャンバスの前に座っていた。
すると手袋をはめた右手が勝手に筆を持ち 滑る様に絵具を塗り始める。
どれくらいの時間だったろうか?トイレに立つ時間もないまま アット言う間に一つの作品が出来上がっていた。

男は呆然と自分の描いた絵を見つめる。
傑作だった。今まで見たこともない、いや、誰も見た事もない絵画だった。

その後手袋を付けた男は 作品を山の様に描き続け あらゆる賞を総舐めにしてゆく。

ある日 いつもの様に手袋を付けた男はキャンバスに向かった。
でも その手袋は筆を持とうとはしない。それどころか 嵌めた右手が少し短くなっている様に思える。
妙な感覚だった。 身体がその中に吸い込まれて行く様な圧迫感がある。
男の予感は的中した。
どんどん身体が吸い込まれ やがて部屋に男の姿は無くなっていた。

開け放された北向の窓 その手袋は部屋に吹き込んだ風に乗り 何処かへ運ばれて行く。
窓の外を 学校帰りの子供達が楽しそうに走り抜けて行った。




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ー金沢市 東山/茶屋街(AM.7:02)雨ー



posted by JUNICHI ICHIMURA at 11:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記