2023年05月15日

「 日本語の変化 」





なんで?と思うのです。




以前にも書いたことがあるのですが、最近益々気になって来たのが、ノーアクセントの話し方。
特にカタカナ名詞や人の名前を言う時にノーアクセントの発音が多い傾向にあると思います。
この音を聞いていると気持ちが悪くなる。
元々日本語は英語に比べるとアクセントがない言葉が多いとは言え、です。

先日もテレビで野球中継を観ていたのですが、例えば、ジャイアンツの「秋広」って選手を発音する場合、通常ならアクセントを「・●・・」と、「ki」の部分に置くと思うのですが、この方は「・・・・」ってアクセントを置かないんです。その他の選手でもこれがあった。
これを何回も連呼されると耳障りで音を消したくなる。

一般の人ではなく、正確な発音や言葉を言わなくてはならないアナウンサーがこれをやるんですから。
世の中全ての名詞がこのノーアクセントになる傾向にあります。
時代と共に言葉は変化してゆくものだと思うのですが、綺麗な日本語を残すことを考えると、果たしてこれで良いのかとと思ってしまいます。

言葉も一つの音と考えると音楽と同じで、音符やアクセントやリズムがあって、それが聞きやすかったり、美しく感じたりするものだと思うのです。
俳句や詩の場合でも、全体としてのリズムや音を想像しながら創ります。
自分の下手な「詩」を書く場合でも、そのリズムを考えて言葉や文章を選んでいるつもりです。

英語の場合、ノーアクセントな単語はあり得ないのです。だから英語の歌詞はリズムに乗せやすいし、単語そのものが音楽になっているのかもしれません。

なぜこんな方向に日本語がなって行ったのかは疑問なのですが、美しい日本語を残す為にも、せめてアナウンサーだけは、正確な発音をしてもらいたいと思うのです。



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posted by JUNICHI ICHIMURA at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記