2014年10月06日

「繋がっていた時間」







あとになって分かること。






宗教とか信仰とかってのは、目に見えない存在を理想的に作り上げて、存在がないからこそ偉大な偶像を作ることができてるんだと思うんです。

でも、逆にそこに存在があるからこそ安心感が持てたり、自問自答の機会ができたりするのが人間じゃないだろうか?

父が亡くなって、改めて感じるのは、人ってのはそこに存在があるだけで、その他の人に影響を与えているってこと。
寝たきりで、話すことも意思表示も出来なくても、そこには確実に安心感が伝わるってこと。

そして、亡くなった今、自分の力の源の一つとなってくれていることは確かだと感じています。

よくドラマや映画のベタな台詞で、「亡くなった方の魂はいつまでもあなたの心の中に生き続けますよ」
なんてクサイ芝居がありますが、これまでその意味が分からなかったんですよね。

でも、父親を亡くして、初めてその言葉を実感できました。

亡くなった今も、その以前より増して自分に力を与えてくれているような気がします。

介護期間は「何で自分だけが、こんな辛い思いをしなきゃいけないのか」とイライラしたものですが、今は父の介護ができて、本当に良かったと感謝してます。
怒鳴ったりしたこともありましたが、父と心が繋がっていた、とっても良い数年間でした。

現在肉親の介護をされている方々、本当に辛いと思います。
でも、肉親が亡くなったあとにご褒美が貰えると思って、頑張ってください。

神様が与えてくれた貴重な時間だと思って・・・。

tsunagat.jpg
posted by JUNICHI ICHIMURA at 11:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
本当に御愁傷様でした。お疲れさまでした。
新聞とってないので訃報を聞いたのはつい先日です。
失礼をしました。

親の介護、市村さんの過去の記事を読んでいても
生易しいものじゃないなあと思っていました。
父のガンの闘病生活も、意識が混濁するようになった最後の数ヶ月、とてもとても家族はつらかったのを覚えていますが
それを何年もだと…と正直しんどく思う気持ちがあります。

神様が与えてくれる貴重な時間、そう思えるように
確かに自分たちが小さかった頃、
夜となく昼となく見守ってくれていた時間を
最後に少しだけ返す、恩返しの時間なのかもしれませんね…

いまは亡くなられた父上様も
見送られた市村さんもご家族も、穏やかに思い出を集められる時間を過ごされていますように。


…しかし、やはり新聞は必要ですね。
ホントに遅れてしまってすいません。
Posted by JORI at 2014年10月06日 13:55
JORIさん、コメントありがとうございます。
いえいえ、気にしないで下さい。
参列して頂いた方で、デザイン業界の方は数人でしたから。

僕自身も知り合いの葬儀を知らなくて、何度も後悔したことがあります。
新聞はとっているんですけどね。
Posted by イチムラ at 2014年10月06日 14:21
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