2015年06月22日

「ルールの通用しない事」







誤摩化そうとする訴えは、人には響かない。






スポーツ中継を見るのは大好きです。

特に国際試合はテンションが上がりますね。
国を代表して戦っているって意識が自然と湧いて来ます。

オリンピックともなれば、もう神経がすり減るくらい応援したくなります。

最近ではテニスの錦織君が頑張ってくれてますが、フクラハギを痛めたようで、心配ですね。

たまに野球もサッカーも何もないって日が数日続くと、なんとも「あいそむない」(金沢弁で、「物足りないとか、充実感がない」)って感情に襲われます。

スポーツにはルールがあって、その枠の中で相手と戦うものですし、敵対する相手にも尊敬の念を持つものです。

でも、これと正反対の事をスポーツと同じに考えているとしか思えないことが日本で起きようとしています。

日本独自の考え方を戦争に当てはめる。
さも、戦争にルールがあるかのように、持論を訴える。
日本の考え方はこうだから、他国と戦争するつもりはありませんよと言う。

しかし待って下さい。
戦争ってのは相手がいるんです。
相手にとっては、どんな理屈をこねても敵は敵なんです。
想像もつかない報復をして来るかも知れない。
相手から先手を撃たれたら、個別的自衛権の行使で、確実に戦争になります。
覚悟をしていない無防備な国民を、危険にさらす事にもなるんじゃないでしょうか?

一国の理屈が通るなら、全ての戦争は起きていないはずです。

改憲すべきかどうかなんて今の段階で国民は判断できませんよ。
ただ、憲法を無視して、時の政府がどうにでも判断できるような法律だけは作らないで欲しいと思うのです。

憲法と言う鉄の鎖で繋いでいたはずの猛獣が、いつのまにか延び縮み自由なゴムのリードに変わってしまって、人を襲えるようになる。

改憲が目標なら、そのリスクを国民に正々堂々と示した上で、その必然性と覚悟を説明すべきだと思うのですが・・・。

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gob_cm02.jpg
posted by JUNICHI ICHIMURA at 12:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
短大の時「憲法」の授業がありましたが、
憲法の意味や立憲主義とは何かというそもそも論が抜け落ちていたような気がします。
「まあ法律の親分みたいなもの。」ぐらいに考えてましたが、

実は憲法が国民の権利、自由を守るために国家権力を制限するもの、つまり国家の方が守るべきものだと知った時、目からウロコが二三枚ポロポロっと落ちるぐらい新鮮な驚きがありました。

憲法は普通の法律とは次元が異なり
法律は国民に対して「守れ!」というものが
憲法は国家権力に対して「守れ!」と命令する。
う〜ん、そうなんや!!と思ったわけです。

だから権力者が正当な改憲手続きを踏まず憲法解釈を変えて実質改憲をしようとする昨今の情勢は非常に危ないと思う。(姑息!)

それと、やっぱ大学とか短大は就職予備校じゃないんやからリベラルアーツをもっと大切にしなあかんのとちゃう?あんな講義(ただ日本国憲法読むだけ)で憲法の意味なんか理解できんわ。


今週「森のゴブリン」届くと思います。

Posted by 〇〜くぼ at 2015年06月22日 17:01
o〜久保さんコメントありがとう。
短大の頃の授業は覚えてないけど、最近のこの独裁的なやり方には我慢できない。憲法は国家権力を押さえる、最後の砦みたいなもんです。その枠を自分達の自由にしようと暴走してる。
来年の選挙が頭にあるから年内にこの法案を通そうとしてるんだろうけどね。
Posted by イチムラ at 2015年06月22日 19:02
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