散歩が好きです。
散歩の「散」の字の意味を見ると、「ちる・ちらかす」の他に、「とりとめがない・しまりがない」と言った意味が並びます。もちろん散歩に当てはまる、「気ままである・ぶらぶらしている・ひま」と言った意味もあります。
これらを総合的に考えると、「しまりがなく集中していない」って意味になるのかな?
でも自分がやってる朝の散歩は、結構しまりがあって、集中してるんです。
何か綺麗に切り取る風景はないかと、目をギラギラさせて見たり、筋肉をなるべく使うように坂道を選んだり。だからほどほど頭も身体も疲れる。
じゃあ散歩じゃないんじゃないか?とも考えるのですが、心を解放するって意味では散歩してるんです。
何の縛りもなく、自由にイメージの中を散歩出来る。
アートするってことも、これに似ているのかも知れないのですが、これだけじゃ人の心に響く物は創れないですね。強いメッセージがないと。
毎週このブログに描いているイラストも、単なる落書きに過ぎない。「散歩」の域を脱しない。
でも、筋肉と同じように、毎日ちょっとずつでも続けるとちょっとずつその意味は変わってくる。


