いなくなった人の物でも一瞬躊躇します。
今年に入ってから両親の遺品整理を兼ねて、不用品をまとめてゴミ処理場に持って行って廃棄しています。
自分の車はミニバンなので、ほどほどまとまった量の物が入ります。
ゴミ500kgまでは1,500円なのですが、この車に目一杯積んでも100kg程度。
なのでもう4回は廃棄に行っているのですが、まだまだ不用品は家の中にあります。
市に家まで取りに来てもらうと、大型タンス一個につき1,000円のシールを貼らなくてはいけないので、やはり自分で運んだ方がお得なのです。
息子や娘にも手伝わせます。
荒涼としたごみ捨て場の大地は、全てが家庭からのゴミでできています。
そんな風景を見、そこに立つのは彼らにとっても初めての経験です。
後で聞いたのですが、不用品とはいえ、今まで自分達が使っていた物をそのゴミの大地に捨てて置き去りにするのは、若干の寂しさや罪悪感を感じているようでした。
この大地はそんな人々の気持ちで覆われ、作られていると思うと独特の威圧感さえ感じます。
物には使っていた人の魂が宿ると言う人もいます。
捨てると言うことは、魂の一部も捨てると言うこと。
名残惜しい気持ちが湧くのも当然なのかも知れません。
物を大事に使う。
気まぐれで物を増やさない。
そんなことを改めて思うのです。

