2018年07月02日

「 若冲と光瑤 」






県立美術館の「若冲と光瑤」を見て来ました。





「若冲」は作品集も持っていて、その素晴らしさはよく分かっているのですが、「光瑤」の作品を見るのは初めて。
1700年代に生まれた「若冲」と1800年代に生まれた「光瑤」をなぜ同じ空間で展示するのか?と言う単純な疑問を持ちながらの鑑賞でしたが、なかなか面白かったです。

二人は同じように、鳥をモチーフにする事に共通点がありますが、「光瑤」は、「若冲」に憧れてその作品の模写までしてるんですね。
一見同じ様なスタイルに見えるのですが、実は正反対の表現をしているんです。

日本の美学は、余計なものを削り取って究極に突き詰める表現。
西洋のそれは、ゼロから足して作り上げて行くもの。

また日本人は自然を愛し、自然と共に生きることを喜びとするのに対して、西洋の文化は自然を征服して来た文化。

「光瑤」は若い頃に西洋美術の影響も受け、その独自の作風を作り上げたと年表にも書いてありました。

自分個人としては、日本人古来の感性で描かれた「若冲」の絵が好きなのです。
間を生かし、全体を描き込むのではなく、力を抜く所はサラッと描く。
簡略化し、まるで現代のグラフィックデザインのように描かれた物も。
その構図も、たとえそのフォルムを黒一色で塗りつぶしても美しく感じることでしょう。

見ていてとても気持ちいいのです。

帰宅してからいろいろ考えたのですが、人の生き方にも通じるのかも知れません。
60歳を迎えて、自分にとって必要なものとそうではないもの。
それらを振り分けて生きることが上手な生き方であり、自分にとっての無駄を省いたその生き方のフォルムも美しく見えるのではないかと。

本当に大切な物はなんなのか?
そんな事もついでに考えさせられました。


jyaku_kou.jpg
★「若冲」に促されて描いてみた。

syuppan_cm02b.jpg
posted by JUNICHI ICHIMURA at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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