身近で起こって初めて感じること
1日が終わり眠りに着く。朝に目覚め、また1日が始まる。
そんな当たり前の毎日。
でも、それがいかに恵まれていることなのか。
そんなことをつくづく思わされました。
40年来の友人が亡くなった。
2年前の夏、彼は脳腫瘍ステージ4と診断され、それでもカテーテルでの手術のみで退院できるほどでした。本人からの電話でお見舞いに行ったのですが、その後このコロナ禍でのこともあり、気には掛けていたのですが、自宅にはあまり顔を合わさない方がいいと、遠慮していました。
そして、先週の土曜の夜、彼の奥さんからの電話で死を知りました。
今月の9日に肺に転移した癌の治療のために入院。亡くなる前日の夜までは、「もうそろそろ退院できる」と言っていたらしいのですが、その翌日の朝、急に旅立つことになるとは。
それも癌が直接の原因ではなく、同じ病室にいた患者がコロナだったことが判明し、それが感染。
肺にダメージがあることが致命傷となったのです。
彼女と一緒に電話口で涙しました。
当たり前のことが実は当たり前ではない。
毎日朝に目覚めることがどれだけ幸せで、恵まれていることなのか。
人は長生きをすれば、それだけ多くの別れも体験することになります。
悲しみと喜びの矛盾がここにあります。
先に旅立って行った者達の分までしっかり生き抜かなくてはいけない。
悔いの残らない人生をおくらなくてはいけない。
そんな使命感を覚えるのです。
昨日、首都圏や関西圏で3回目の緊急事態宣言が発出されました。
しかし、テレビで昨日の首都圏の映像を見ると、あまりにも多い人出が映し出されます。
もちろんこのコロナ禍を継続させている張本人は、この国の政府の無策さです。
しかし、この後に及んでまだ人混みに向かって平気で外出する人々は何なんでしょう。
自分達だけは感染しないと思っているのでしょうか?
後遺症も残らないとでも思っているのでしょうか?
いつもの様に朝を迎えられる。
そのことにもっと感謝すべきなんだと思うのです。



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